野口健さんと言えば、多くの人がテレビや雑誌でよく目にする人物の1人。
25歳の時に当時の世界七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新するなど、大学在学中よりアルピニストとして登山に情熱を注ぐかたわら、富士山やヒマラヤでの清掃活動なども行っています。

あらゆる活動に忙しい日々を送る中、さらに野口さんは近年、ヒマラヤ山脈のマナスル峰のふもとで「森づくり」や「学校づくり」に尽力しています。

野口さんが思い描くマナスルの未来とはどんなものなのでしょうか?(ヤフーの社会貢献)

現地の人々の意識を変えた! ヒマラヤでの清掃活動

インタビューに応える野口さん。熱を帯びた語り口の中に現地の人々への想いが感じられる
現在、マナスルでの森づくりや学校づくりに尽力されている野口さんは、ヒマラヤで多くの活動をされています。まず、これまではどんな活動をされてきたのでしょうか?
野口健さん(以下、野口)「代表的なところでいうと、エベレストでの清掃活動です。当時は、登山者たちの残していくゴミの量がものすごく多かったので、環境への影響が心配されていました。それを僕らが清掃活動することで解決しようとしていました。

登山用の簡易トイレはもちろんのこと、酸素ボンベなんかもゴロゴロ転がっていたくらいひどい状況だったんです。」

酸素ボンベまで? そこで暮らすシェルパの方々もそのゴミの量には頭を抱えていたのではないでしょうか?
野口「いえ、それが登山者はもとより、現地のシェルパたちもゴミに対しては、かなり意識が低く、なんの課題意識も持っていない状況でした。ゴミがそこら中に散乱し、そのまま放置されていることが問題だということがピンときていなかったようなんです。

そもそも“シェルパ”というのは、登山をガイドしてくれる職業の名前だと認識されがちですが、実はそうではなくネパールの少数民族の名称です。彼らはネパールのカースト制度(生まれながらに決められた身分制度)においては中ほどに位置していて、決して身分が低い人々ではありません。ゴミはもっと低いカーストの人たちが拾うものだというネパールに根付く社会的な背景から、『僕たちがゴミ拾いをするなんて!』という意識があったのだと思います。

しかし、僕たちがそんなシェルパたちを巻き込んでエベレストでゴミ清掃を続けることで、彼らの意識もどんどん変わっていきました。シェルパたちの皆が今では自分たちの住んでいる村でも率先してゴミ拾いをするほどです。今やエベレストではゴミを探す方が大変だというくらい素晴らしい成果が出ています!」
自らの足で、ネパールの首都カトマンズから10日間かけてマナスルへ足を運ぶ野口さん。住民の人々からの信頼も厚い様子が伺える

野口さんをマナスルでの森づくりへと導いたきっかけとは?

深く根付いたカースト制度の中、シェルパたちの意識が変わるなんて、長期にわたる活動の賜物(たまもの)ですね。
そんな中、そもそも野口さんがマナスルでの「森づくり」を始めようと考えたきっかけはなんだったのでしょうか?

野口「マナスルの森林が伐採されてしまっている地域では、もともと土砂崩れの被害が甚大だったんです。日本では、木を切ったらその場所に新たに木を植えるという習慣が根付いていますが、マナスルの現地の人々にはそのような習慣がありません。木を切ってしまった場所に新たな木が植えられることがないので、木の根が地面に張っていない状態のまま山が放置されているんです。

そのため、土砂が流れ出しやすく、地盤も弱くなってしまっていたんです。2006年に初めてマナスルに行った時から、その風景はとても気になっていました。
雨期の土砂崩れが多く発生しており、このままでは問題だなと思っていた矢先の2015年4月25日にネパール地震が起きてしまいました。
土砂崩れなど、その被害はとても大きなものになってしまいました。やはり森を作ることが現地の人々の生活を守ることにつながると感じました。」
カラマツの苗木。森を作るために村に落ちている種を現地の人々と一緒に集めて苗木にしているのだそう
「森づくり」となるとかなり壮大なプロジェクトのように感じますね。まず野口さんが行ったことはなんだったのでしょうか?
野口「まず、つくば市にある住友林業の筑波研究所に相談に行ったんです。
彼らの調査協力で、マナスルでは森林限界(高木が生育できなくなる限界高度)の標高が高く、標高4000mでも森を作ることができるとわかったんです。この森林限界の標高は日本では約2000mと言われていますから最初はびっくりしました。

マナスルでは、マツ、モミ、カラマツなど3万本を植樹予定で、周辺から集めた種を使って昨年初めて3000本の苗木を作ることができました。3年後にはやっとそれらの苗木が植樹できるまでに育ちます。30年もたてばマナスルに森ができるんですよ!」

そこまで壮大なプロジェクトだと、当然お金もかかりますし、現地の人々の協力も必要ですよね?
野口「そうですね。植樹できるようになるまで苗木を育てる施設である苗木センターの設立などに日本円で約500万円ほどかかっています。
現地の人たちは、飼っている家畜が苗木を食べてしまわないよう囲いをしたり、家畜が歩き回らないようつないでおいてくれたりと、かなり積極的に協力してくれました。」
まだまだ小さな苗木が、30年後、マナスルの地に深く根を下ろし森を形成することになる

森づくりの足がかりとなった、野口さんの学校づくり

「森づくり」の前に、野口さんは「学校づくり」にも尽力されていたとか。
やはり、その「森づくり」において現地の人々の協力体制がしっかりしていた理由としては、先に「学校づくり」で人々の信頼を得ていたという部分が大きいのでしょうか?

野口「そうですね。すでに学校づくりのために何年もマナスルに通っていたので顔見知りも多かったですし。
また、学校で子どもたちに森づくりの大切さを教えていたので、その子どもたちが自らの発信で大人たちに森づくりの大切さを伝えてくれていました。
現地との協力体制を作り上げるにおいては現地の子どもたちも大きな役割を果たしてくれたと感じています。」
2006年当時、マナスルの村の授業風景。現在は100人ほどの子どもたちが通い、意欲的に勉強に取り組んでいる
「学校づくり」の段階では、やはり現地の方々の協力をあおいだり、説得したりすることに関して苦労された部分もあったのでしょうか?
野口「学校づくりに関しては苦労しましたね。子どもたちを学校に通わせるということは、その時間働き手がいなくなるということなので、大人たちはかなり反対していました。
現地の人は、子どもの頃から家の仕事を手伝い、そのまま家の仕事をしながら大人になって、またその子どもが家の仕事を手伝って……という生活をしているので、それ以外の人生を知らないんですよね。

つまり、われわれが子どもの頃に抱いていた『大きくなったら宇宙飛行士になりたい』とか、『こんなことを勉強したい』とか、そんな夢や希望を思い描くほどの知識がそもそもないのです。」
寮でも勉強をする子どもたち。村まで歩いて数日かかる地域の出身の子どもたちは寮で過ごしながら教育を受けている
なるほど、そもそも教育を受けていないと言うことは、未来を想像するだけの知識がないということですよね。
野口「現地の子どもたちに『将来の夢は何?』と聞いても、逆に『将来の夢って何? どういうこと?』というような顔をされるんですよ。これが、僕がマナスルの子どもたちに対して教育の必要性を感じた瞬間でしたね。

そこからはやはりゴミ清掃などの活動を通じて信頼を深めていくうち、現地の人々も教育の必要性に関する僕らの話を受け入れてくれるようになって、ようやく学校の設立が実現して。
そして、ついに村で子どもたちが教育を受けられるようになったんです。

今ではネパールの首都であるカトマンズなどに出て、高等教育を受ける子どもたちも出てきています。将来に関しても、『医者になりたい!』など、これまでは想像もできなかったような夢を語る子どもたちがかなり多くなっていますよ。」

すでに学校づくりにおいては実績も出ているようですが、現在も継続的に行っている活動はありますか?
野口「現在は、学校がない地域に教師を派遣することでより多くの子どもたちが教育を受けられるようにする活動を行っています。
また、先に話したネパール地震によって、学校でみんなが集まるために使うホールが崩れてしまったり、子どもたちが寝起きする寮の壁に亀裂が入ったりしていて、かなり危険な状態だったので、現在はその再建活動も進めている状態です。」

ホールや寮の再建にはどれだけのお金がかかるのでしょうか?
「まず、ホールの再建には日本円で約600万円かかります。また、寮に関しては、今後同じような地震が起こった際に子どもたちへの被害が最小限に抑えられるよう、二階建ての寮を平屋にして再建しようとしています。こちらは日本円にして約700万円ほどになるでしょうか。」
2015年のネパール地震で倒壊してしまった学校のホール。完成直後の出来事だったそう

野口さんを突き動かす“使命感”とは?

マナスルの人々と野口さん。子どもから大人まで、皆野口さんに厚い信頼を寄せている
やはりかなりのコストがかかるのですね……。しかし、そのような状況でも野口さんがこのマナスルにおいて活動を続ける意義というのはどこにあるのでしょうか?
野口「まず、山間部への支援というのは非常に難しいのです。マナスルは首都カトマンズから車と徒歩で10日間かかり、(連絡手段として)現地では衛星通信以外使えないため、現地とのコミュニケーションが難しいという現状があります。
また、都市部や観光地、エベレスト方面/街道など人気のある土地は各国からの注目度も高く、支援が行き届きやすいのですが、注目度の低いマナスルのような土地には支援が行き届きにくいという現実があります。

やはりそのような土地を理解し、実際に足を運べる僕のような人間こそが、しっかりと支援していくべきだと感じました。
マナスル基金(マナスルの子どもたちの教育を支援するプロジェクト)において、『マナスルに学校を作ろう、森を作ろう』という想いに共感した皆さんに募金していただいているお金も、ただのお金ではありません。

皆さんの“マナスルに対する想い”が乗せられたお金です。
そんな皆さんの想いを背負っている責任を持って支援につなげることが僕の使命だと感じています。」

まだまだ続く、マナスルに対する支援

子どもたちが率先して、大人たちに森の大切さを伝えるマナスル。野口さんに肩を組まれた少年の笑顔が印象的
今後この活動を通してマナスルに対して思い描く展望などはありますでしょうか?
野口「もちろん! やることはまだまだたくさんありますよ。森づくりがまだ継続中であることはもちろんですが、マナスルの村に診療所を作りたいと考えています。

現在は、外国から医師が年に数回訪れて健康診断を行うくらいの医療活動しかできていないんです。しかし、現地の人々の健康を守るためには、やはり診療所は不可欠だと考えています。
あとは、子どもたちの教育水準が上がることで、浮き彫りになってきた課題があるので、その解決につながる活動もしていきたいですね。」

教育水準が上がることで浮き彫りになった課題とは何でしょうか?
野口「これは日本においても同じ現象が起こっていると思うのですが、教育水準が上がることで、若者が都会に出てしまったまま故郷に帰らず、山間部がどんどん過疎化していってしまうという現状があるんです。

やはり都会というのは娯楽も多いし、利便性も高い。若者にとっては魅力的な場所ですから。
すでに教育支援の手厚いエベレスト方面/街道などの山間部の集落では、その過疎の問題が深刻になっているという話を聞きます。
教育とは、外の世界を知ることであり、村の外に興味を持つということ。これ自体が悪いことでは決してありません。

だからこそ、村の外に出た若者たちが『また村に戻ってきたい、村で何かがしたい』そう思える環境を整えていかなければならないんです。そうしなければ、マナスルの村々は徐々に姿を消していってしまうでしょう。
そのためには、ただ教育水準を上げるだけではなく、自分たちの故郷に対する愛を育む教育も同時に行うことが不可欠だと感じています。」
多くの可能性を持ったマナスルの子どもたち、今後はマナスルの将来を担う心強い存在となるのだろう
若者たちが自分たちで“マナスルの可能性”を広げていきたいと感じられるようになれば良いですよね。
野口「そうですね。マナスルの村々は、カトマンズから歩いて10日間という過酷な場所にありますが、とにかく良いところなんですよ。
マナスルのあるネパールは、ヒマラヤ山脈を隔てたチベットとは反対側の位置にありながらも、壁面に色とりどりの装飾が施された建物が多く見受けられるなど、チベットの文化が色濃いとても珍しい場所です。また、マナスルのトレッキングコースの魅力を世界に伝えていけば、観光が産業として育つ可能性を大いに秘めています。

子どもたちが教育を通じて外の世界を知ることで、自分たちの村の魅力をより多く、そしてより深く発見できる。そんなマナスルの新しい可能性を地元の若者たちに伝えていければと考えています。」


「森づくりや学校づくりなどの活動は本当に大変。でも大変なだけではなく、僕自身がやはりこの活動を“おもしろい”と感じているからこそ続いているのでしょうね。」

現地の人々の意識が徐々に変わっていく様子、着々と学校や森が出来上がっていく実感、そんな目に見える変化が野口さんを次の行動へと突き動かしているのでしょう。

まだまだ支援が必要なヒマラヤの山間部、マナスル。
1956年に日本の登山隊が世界で初めてマナスル峰の登頂に成功したことから、現地の人々は日本への親しみを込めてマナスルの山を「ジャパニーズマウンテン」と呼ぶほど。

遠く離れた日本から、野口さんを通じてマナスルへ。あなたの“想い”を届けてみませんか?


取材・文=草井理菜(リベルタ)

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