Yahoo!基金 NPOの知らせる力プロジェクトレポート #5 自主避難者を地域ぐるみでサポート! 避難者と住民が交流するサロン「黄色いハンカチ」を地域の防災拠点に。

千葉県松戸市の中心部。駅から歩いてすぐのところにある雑居ビルの一室にあるのが、市民団体「東日本大震災復興支援 松戸・東北交流プロジェクト」が運営するサロン「黄色いハンカチ」です。震災からの自主避難者の方々と、彼らを支援する市民の交流の場として2013年1月にオープンしたこのサロンは、お茶を飲みながら情報交換したり、手芸教室や歌のイベントなどを開催したりと、これまでさまざまに活用されてきました。
このサロンは東日本大震災直後すぐに支援活動を始めていたNPO法人ふれあいネットまつどの事務局長奥田義人さんが呼びかけて、NPO法人子どもっとまつど代表の渡辺洋子さん、古宮保子さん、ファミリーサポート勇気づけ、松戸福島県人会の方々など多くの市民のみなさんの熱意で立ち上がりました。その中で、現在このプロジェクトの代表を務める古宮さんは、もともと松戸市の女性センター「ゆうまつど」で就労支援などの相談員をしたり、保護家庭や母子家庭の調査員をするなど、地元に根付き、市と連携した活動を40年以上にわたり展開してきた人です。松戸市は震災後、他の地方自治体に先駆けて自主避難者の受け入れを表明した市でもあり、古宮さんはじめ松戸の市民団体の方々は、市と連携して当初から支援活動を行っていたそうです。

松戸・東北交流プロジェクトの代表を務める古宮保子さん。JR松戸駅西口にある観光案内&無料休憩施設「松戸探検隊ひみつ堂」はサロンのそばにある。

震災直後から活動をスタート、避難者の意見を聞きながらサロンを設立。

「松戸市にはまつど市民活動サポートセンターというのがあり、非営利活動を展開する市民団体やNPO団体が集まっているので、そこにいる仲間たちと震災直後に活動を立ち上げました。4月2日にはトラックに水を積み、いわき市に炊き出しにも行きました。その後、取り壊し予定だった社宅や福祉センターなどに期間限定で入られた避難者の方に、市民から集まった支援物資を差し上げに行き始めて。平日の昼間はみんな仕事をしているので、活動は夕方5時以降になりましたが、市も積極的に動いてくれていましたね。しばらくして、皆さんが借り上げ住宅に移られ、住む場所がバラバラになる中で、町会のようなもの、交流できる場が必要だという意見が出て来ました。そこで、避難者同士、同郷同士の交流の場として、また、暮らしのさまざまなことを相談できる場として、サロンを立ち上げることになったのです。また、松戸市民の方が多く関わっているのも、私たちのプロジェクトの特徴。被災地で同じ体験をした人同士だけで寄り合うのではなく、松戸の人たちと交流することも、その後の生活を考えると不可欠なことだと思ったのです。おかげさまで、松戸には熱心な支援者がたくさんいる。市役所の方が何かと声をかけてくださったのもありがたかったですね」
そう話す古宮さん。現在の場所にサロンを構える前から避難者に集まってもらい、どんな空間にしたいかを話し合ってもらったといいます。被災地の行政との連携がとりやすくなるよう、避難しているのはどんな人々か、出身地を含めて把握することも大切だったそうです。
現在、サロン運営などの面で事務局の中心となって活動しているのが高田良子さん。彼女はもともと、福島県南相馬市から夫婦で自主避難して来た人でした。

古宮さんとともに事務局の中心人物として活躍する高田良子さん(右)。かつて夫婦で移住した南相馬市から自主避難した彼女がサロンに常駐し、避難者の良き話し相手ともなっている。

避難者自らが中心的存在になることで、よりニーズに合った活動が可能に。

「私はもともと東京の出身でしたが、震災の4年半前に南相馬に移住していました。主人が山形出身なので東北地方に移住することに抵抗がなかったんですね。被災して、最初は群馬に避難し、その後、松戸に移って来ました。このサロンの情報を聞きつけ、初めて足を運んだのが13年2月頃。そしたら、スタッフとして手伝ってもらえないか、と松戸・東北交流プロジェクトの方に誘われたのです。私に何ができるか分かりませんが、少しでも何かをやっていきたいと思い、引き受けさせていただきました」
そう振り返る高田さん。古宮さんは、「実際に避難して来た方がサロンに常駐していたほうが、ここに来られる方々にとってもいいに違いない。そう思って、高田さんにお手伝いをお願いしました」と話します。
駅近の、いわば街の中心地にサロンを開設したのは、遠くから避難して来て地の利もない人々が迷子になっては困ると考えたため。もしもの場合のために、交番にもあいさつに行ったそうです。

(左)3.11から6周年を経て開催した「避難者交流会in清澄庭園」で記念撮影。( 右)サロンで開催された「福島県南相馬市避難者交流会」の様子。浪江町や大熊町など、各地の交流会も開催している。

避難者の気持ちに寄り添いながらのさまざまな取り組み。

サロンでは日々、常連さんたちがコーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり、手芸教室の時には大勢が集まったり。基本的には女性が多いものの、囲碁の会などの時には男性も多く集まるそうです。この温かな雰囲気を求めて、他県からわざわざ足を運ぶ避難者の方もいるとか。
「やっぱり当事者同士でしか話せないこともあります。特に福島から避難して来た場合、物の風評被害もあるけれど、心の風評被害もある。子どもの場合は特に純粋な分、残酷だったりもします。震災の時に6ヵ月の孫を連れて避難して来た人が『いじめに遭うと怖いから本人には松戸で生まれ育ったんだよ、と言っている』なんていう話も聞きました。車のナンバープレートを変えている人も多いですね。嫌な思いをしたくないという気持ちと、震災の事実を風化させないことにどう折り合いをつけていくか、というのは、今なお大きな課題です」
高田さん自身が福島からの避難者だからこそ、他の避難者の気持ちにも寄り添える。このサロンの魅力は、一方的な「支援」ではないからこその気安さ、温かさにあるのかもしれません。

また、この場所は避難者向けに郵送する「サロンニュース」を制作する場としても機能。ここを拠点にしながら、町歩きの防災イベントを開催したり、大学の栄養学の先生を招いて食の安全を考えるイベントを開催したりと、イベントも積極的に開催しています。町歩きでは「ここには鉄塔が立っているとか、この道は乳母車や車椅子では通りにくいとか、細かい部分をチェックしました。また、マンホールの蓋を開けると非常時にトイレ代わりになるので、それもチェック。自動販売機も倒れると危険なので、そういうことも勉強できました」(古宮さん)と話します。
古宮さん、高田さんとも、とにかく前向き。その明るさと行動力が、避難者の人々が松戸の地に溶け込み、新しい暮らしを送るための希望の光となっているようです。

被災者の皆さんが作ったクラフト作品の数々はサロンで販売も。かわいい人形は明るい雰囲気も運んでくる。

地域の人々と避難者たちで作る、新たなコミュニティーを防災の拠点に。

長らく愛されてきた今のサロンですが、実は間もなく移転を余儀なくされるそう。そんなわけで、現在プロジェクトのメンバーは新たな場所を求めて奔走中です。
「次の場所ではみんなで料理できる広いキッチンが欲しいんです。また、避難者も高齢者が多くなってきているので、介護の拠点にもなったらいいなと思っています。松戸市には子育て団体も多いので、子育ての拠点としても使えればいいし、もちろんまずは防災拠点としてきちんと整備したいですね。松戸には千葉大、流通経済大、聖徳大学と、大学のキャンパスが集まっているので、今もイベントの時には学生さんたちが手伝ってくれます。今後も若い人たちの手も借りながら、松戸市内の各地に住む避難者と地域の方々の関係をより密接なものにしていきたいと思います」(古宮さん)
被災者と支援者が手を取り合い、新たなコミュニティー作りを模索して来た古宮さんたちの取り組みは、他の地域にとっても大きな参考例となるはず。次世代に活動をつなぎつつ、防災の新しい可能性を模索する彼女たちの挑戦は、これからもまだまだ続きます。

松戸に嫁いで半世紀。常に溌剌とした雰囲気の古宮さんは今なお街を飛び回り、人々を巻き込んで活動の場を広げている。

撮影 榊 水麗 /取材・文 山下紫陽/企画制作・リベルタ


東日本大震災復興支援 松戸・東北交流プロジェクト

東日本大震災と福島第1原発事故により千葉県東葛地域に避難された方への支援と交流の拠点としてのサロン「黄色いハンカチ」を運営しています。

ウェブサイト:東日本大震災復興支援 松戸・東北交流プロジェクト(外部リンク)


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